チャレンジChallenge
「北海道磯分内工場バター新棟」
安定的立上げへの挑戦
国産乳製品の生産を
安定させなくては。
約200億円を投資した
一大プロジェクトに、
バターや粉乳の
プロフェッショナルが
名を連ねました。
およそ4年に及んだバター新棟の建設。
ハードワークを楽しく乗り切るための環境づくりや
品質維持と働きやすさを両立させたライン構築など、
数々の工夫がありました。
プロジェクトに携わった
メンバー一丸のチャレンジ精神で、
ゴールを目指した当時を振り返ります。
*本インタビューは新型コロナウイルス感染症対策を
講じた上で行いました。
*所属・記載内容は取材当時のものです。
登場人物紹介
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野月 法彦
Norihiko Notsuki
製造課長
1998年入社、別海工場に配属。
バター製造、粉乳製造に携わる。2004年、大樹工場に異動。粉乳製造に携わる。
2006年、生産部に異動。
バター・クリーム・スキムミルク等を担当する。2018年、磯分内工場 製造課に異動。
バター新棟建設プロジェクトの工場側製造関連統括責任者としてプロジェクトに携わる。[仕事のモットー&ポリシー]
ものづくりの楽しさとやりがいが、お客様が美味しいと感じる商品を生み出す。
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筒渕 友和
Tomokazu Tsutsubuchi
製造課 粉乳職場 主任
1998年入社、なかしべつ工場に配属。粉乳製造に携わる。
2009年、ビーンスターク・スノー(株)(現:雪印ビーンスターク(株))に出向。
群馬工場で粉乳製造に携わる。2012年、磯分内工場に異動。粉乳製造に携わる。
[仕事のモットー&ポリシー]
好奇心をなくさず、なにが美しくて本当なのかという本質を見極める。
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杉本 龍
Ryu Sugimoto
製造課 バター職場 主任
1989年入社、磯分内工場に配属。粉乳製造に携わる。
1992年、バター職場に異動。バター製造に携わる。
1995年、幌延工場に異動。バター製造に携わる。
2010年、磯分内工場に異動。バター製造に携わる。
[仕事のモットー&ポリシー]
仕事は一人ではできない。
だから周りと協力しあいながら自分を高める。 -
薄田 裕次郎
Yujiro Susukida
製造課 バター職場
2013年入社、磯分内工場に配属。バター製造に携わる。
[仕事のモットー&ポリシー]
見て見ぬふりをしない。
無責任な仕事をしない。
不満や文句を言わない。
Prologue
バターや粉乳のプロたちが
名を連ねた一大プロジェクト。
バター、クリーム、脱脂粉乳、脱脂濃縮乳を生産する磯分内工場は、1960年に稼働しました。これまでラインの増設に合わせ増築を繰り返してきましたが、狭あい化や老朽化が進み、動線や生産設備で多くの運用上の制約が懸念されてきました。北海道内の工場で職歴を重ね、当工場に配属された野月製造課長は当時を“設備を入れ替えるだけでは解消できない、建物自体に課題があった”と振り返ります。バターづくり一筋の杉本バター職場主任も“建屋は解決すべき課題を抱えていた”ことに頭を悩ませていました。もはやバター棟は抜き差しならない状況だったのです。
2017年7月、製造現場の思いが実を結びました。「北海道における生産体制の整備と、国産乳製品の安定的な生産」を目指し、バター新棟の建設が現実のものとなったのです。
2021年4月の稼働に向け、生産部と生産技術部、磯分内工場が三位一体となって走り始めた一大プロジェクト。工場側製造関連の統括責任者に抜てきされた野月製造課長のもとには、バターや粉乳のプロフェッショナルたちが集結しました。
およそ4年に及んだバター新棟の建設。メンバー一丸のチャレンジ精神でゴールを目指した当時を、野月製造課長他4名の製造課社員に聞きました。
生産という仕事への「チャレンジ」
生産の仕事は雪印メグミルクの生命線。
ものづくりのやりがいや醍醐味は何か。
そしてプロジェクトの一部始終を見とどけた今、
「チャレンジ」することの大切さについて、
3人の若手社員に語ってもらいました。