ミルクの歴史
お釈迦様もミルクで元気に
紀元前5世紀に仏教を開いた釈迦(しゃか)は、悟りを得るため厳しい苦行をしたといいます。苦行で衰弱した釈迦に、村の少女が乳粥を差し出ました。釈迦はその美味に驚き元気を取り戻します。そして菩提樹の下で瞑想し、悟りを開くことができたのだとか。釈迦は牛乳や乳製品を、食料となり、気力を与え、皮膚に光沢を与え、また、楽しみを与えるもの…として讃えています。
経典にも乳製品
仏教の経典に「牛より乳を出し、乳より酪(らく)を出し、酪より生酥(なまそ)を出し、生酥より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐(だいご)を出す、醍醐は最上なり」と記されています。これらは今でいうヨーグルトやバター、チーズなどのような乳加工品と推測されています。醍醐味(だいごみ)という言葉もこの“醍醐は最上”に由来したといいます。
日本の貴族たちも好んだミルク
日本人が牛乳の知識を得たのは、6世紀中頃に朝鮮半島から帰化した智聡(ちそう)という人が、仏典や医薬書と一緒に牛乳の薬効や乳牛飼育法が書かれた書物を持ってきたことによります。大化の改新の頃に、智聡の子善那(ぜんな)が天皇に牛乳を献上したところ、天皇は大いに喜び「牛乳は体をよくする薬である」として善那に「和薬使主(やまとくすりのおみ)」の姓を与えたといいます。朝鮮からの渡来人が増えるにつれ、次第に乳搾りや乳加工が広まり、奈良時代には当時の乳加工品の蘇(そ)が諸国から朝廷に献上されました。しかし、やがて武士の世になると乳文化はすたれてしまいます。
将軍の白い乳牛
16世紀以降、西洋から宣教師や商人たちが日本に来るようになると、彼らを通じて乳文化に触れる大名もでてきました。享保12年(1727年)、八代将軍徳川吉宗はインド産の白牛3頭を取り寄せて牧場で放牧し、その乳で作った乳製品は滋養の薬とされたといいます。これが近世の日本酪農のルーツ。白牛が放牧された牧場は南房総の嶺岡(みねおか)牧場です。現在その一角は千葉県嶺岡乳牛研究所として受け継がれています。
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