雪印八雲工場食中毒事件
昭和30年3月、東京都内の小学校9校で、学校給食で使用された脱脂粉乳により発生した食中毒事件で、患者数は1,579人に及んだ。
この脱脂粉乳を製造したのが当時北海道渡島にあった、雪印乳業(株)八雲工場だった。
原因物質は黄色ブドウ球菌で、脱脂粉乳の製造時に重なって発生した製造機の故障と停電により、原料乳あるいは半濃縮乳が粉化前に長時間放置されたことで菌が増殖したものと推定され、平成12年に発生した食中毒事件と全く同様と言える事件だった。
この八雲工場脱脂粉乳事件を風化させてしまい、その教訓を活かすことができなかったことが、平成12年の大阪食中毒事件の発生につながったとも言える。
八雲工場の事件後、当時の社長であった佐藤 貢が全社員に向け発した、「全社員に告ぐ」(原文)を掲載しています。