雪印乳業(株)、北海道バター(株)(後のクロバー乳業(株))に分割

過度集中排除法の適用と分割

株式民主化によって北海道製酪協同(株)(北酪社)が誕生し、これからは酪農民が落ち着いて酪農の経営合理化に精進できるという矢先に、北酪社は、昭和23年2月「過度集中排除法(排除法)」の指定を受け、またしても北海道の酪農界は暗雲に閉ざされた。

「過度集中排除法」は、連合軍最高司令官総司令部(GHQ)の最高司令官、ダグラス・マッカーサーの指令のもと、独占資本による過度の経済支配力を排除して「日本経済が再び戦争経済に転化する危機を未然に防ぐため、日本における私的な工業、商業、金融、農業の企業結合を解体させる」というものだった。

当時、北酪社は全国生乳量72万石に対し、北海道の生産量43万石を掌握し、しかもバターのシェアは70%以上に達していて、排除法に指定される懸念があった。
しかし、北酪社は、零細な農民資本による組合組織から発展したもので、すでに資本構成も民主化されているから指定を受けるには当たらないと、各方面に陳情し、排除法指定の解除を求めた。
解除運動のさなか、昭和24年、北酪社に対し過酷きわまる三分割の指令が発せられた。
全道農民一丸となって絶対反対を目指して一大運動を展開した。しかし、万策つき、指定から2年後の昭和25年3月30日、受諾にするに至った。

ここに、北酪社は、「雪印乳業(株)」と「北海道バター(株)」に分割し、薬品、種苗、皮革、食肉事業の別会社への分離を受入れ、5月30日、最後の定期株主総会が開催された。
席上、佐藤貢会長は、「苦節25年を顧て」と題し、酪連から北酪社解散にいたるまでの経過を述べ、せつせつと窮状を訴え、『災い転じて福となすべきであり、われわれも今後の事態に全力をあげて善処する、酪農民の皆さんも一層の協力をされたい』と悲壮な決意を披露した。

かくて、北酪社は、「雪印乳業(株)」と「北海道バター(株)(後のクロバー乳業(株)」に分割。両社は新しい構想を持って、多難な前途の第一歩を踏み出した。

このとき、排除法により分割されたのは、11社あった。

日本製鉄→八幡製鉄、富士製鉄、日鐵汽船、播磨耐火煉瓦
大日本麦酒→朝日麦酒、日本麦酒
住友鉱業→井華鉱業、別子鉱業、住友建設、別子百貨店
大建産業→伊藤忠商事、丸紅、呉羽紡績、尼崎製釘所
三菱重工業→東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業
その他 三菱鉱業、三井鉱山、王子製紙、帝国繊維、東洋製罐

排除法は昭和30年7月に廃止された。