ロンドン市場にバター輸出

北海道製酪販売組合連合会(酪連)は過剰バターを輸出するため、昭和2年頃から、中国の大連、上海への輸出を始めていた。
昭和10年秋ごろ、バターの世界一の市場であるロンドンでバターが3千万ポンドも不足し、価格も二割ほど高騰していた。
酪連は、日本駐在英国商務省の斡旋により、昭和10年11月、見本として2,800ポンドを横浜から積み出した。
見本バターは、英国国立検査所の厳密な品質検査の結果、22ヶ国のうち第4位という良い価格を与えられ、50万ポンドの大量注文を受けた。
これで国内で滞貨していたバターは一気に減少した。

その後、直接商談し、海外の乳製品事情を調査するため、佐藤技師と瀬尾主事(いずれも後の社長)は、ロンドンに渡った。

  • 北海タイムス新聞に掲載された記事(昭和11年)

  • 商談のためロンドン港に到着した佐藤貢技師
    (昭和10年11月)

  • バターの輸送 昭和2年から冷蔵貨車を使用。屋根に天然氷をつめるもので苦労も多かった(昭和8年)