バターの歴史
世界中で親しまれているバターですが、そのルーツはさだかではありません。古いものでは、紀元前4千年のイスラエルの遺跡から、バターを作るための道具と推定される土器が出土しています。また、大英博物館に収蔵されている、メソポタミア文明のシュメール人の神殿跡から発掘された装飾版には、土器製のチャーンでバター作りをしていると思われる様子が描かれています。これらがバターを想像させる最古の記録といえます。さらに時代はくだって紀元前5世紀。ギリシャ時代の歴史家ヘロドトスが著した「歴史」には、黒海北岸(今の南ウクライナ)に住む遊牧騎馬民族スキタイ人に関し「彼らは馬の乳を流し込んだ木桶を、まわりに並ばせた奴隷たちにゆすらせ、上にたまった部分をすくいとってこれを上質のものとした」といった内容が記されています。これがバターではないかと想像されます。
西洋かぶれはバタくさい
日本におけるバターの始まりもはっきりしません。飛鳥時代に伝わった乳文化は貴族たちの間に広まりましたが、その頃に牛乳を煮つめたりして加工されていたものが、バターや練乳、あるいはチーズに近いものだったのではとの諸説があります。いずれにせよ、武士の時代になると乳文化はすっかり途絶えてしまいます。
今のようなバターが登場するのは明治時代に入ってから。米国から日本に農業指導にやってきたエドウィン・ダンの指導により、バターをはじめとする乳加工品が作られました。明治10年に上野公園で開かれた内国勧業博覧会にも、チーズとともに出品されています。バターは西洋風食品のシンボル?というわけか、西洋っぽいことを指す「バタくさい」という言葉も生まれました。最近ではあまり使いませんね。
雪印バター発祥の地
北海道では大正14年に、629人の酪農家が出資し北海道製酪販売組合が組織されました。商標は「雪印」です。組合は翌年連合会組織に改まり、通称「酪連」となります。酪連は札幌郊外の上野幌(かみのっぽろ)の農場のいっかくを借受け、バターの製造を始めました。当時は木製の樽にハンドルをつけた、手回しチャーンで手作りされていました。この建物は今も「雪印バター誕生の記念館」として残されています。その後、札幌の苗穂駅近くに、最新式の機械や冷蔵設備を備えた新工場が建てられ、バターの生産能力も品質も飛躍的に向上します。
おすすめリンク
-
メンバー登録メルマガのお届け、メンバー限定プレゼントなど