函館で市乳製造販売開始
昭和8年当時、函館市は数多くの牛乳配達業者が乱立し、各々の規模も小さく品質的にも不ぞろいだった。
北海道製酪販売組合連合会(酪連)は、函館市の協力を得て、函館の各産業組合と交渉し、酪連への加入と牛乳供給承諾の調印に成功した。
やがて、大口業者の大半も酪連への加入表明したため、それぞれの営業権を買収して、ようやく牛乳配達事業の見通しを得た。
昭和9年1月、函館ミルクプラント工場を開設し、初の牛乳事業を開始した。
函館市を49区画に整理して、1区に1人の配達人を置き、徹底的な合理化を実施した。
事業開始まもなく、昭和9年3月、函館市は大火に見舞われ、全焼23,600余戸、市内目抜き通りはことごとく灰塵に帰し、死者2,000人を超えた。
このとき酪連は、幸い類焼をまぬがれた函館工場に救援本部を設け、乳幼児・病弱者に牛乳の無料配給を行い、市民から非常に感謝された。
これを機に牛乳事業は全道に広がりを見せた。