「日本人にとっての、おいしいチーズを求めて」第一回

~チーズとともに歩んできた人たちへのインタビユー~

第一回 田中穂積さん(元・雪印メグミルク株式会社 チーズ研究所所長、チェスコ株式会社 技術顧問)

Profile:1975年に新潟大学農学部を卒業し、雪印乳業株式会社(当時)に入社。以来、技術者としてプロセスチーズ及びナチュラルチーズの製造、研究・開発に従事する。1987年に発売された『とろけるスライス』の開発に携わり、大ヒット商品となる。2004年から8年間にわたり「雪印メグミルク チーズ研究所」の所長を務め、日本人の口に合う“国産ナチュラルチーズ”の開発に専心する。2012年、チェスコ株式会社の技術顧問となり、後進の指導に当たりながら、チーズに関する講演などを手掛け、ALL JAPANナチュラルチーズコンテスト審査員を務める。

幼少期からつながりのあった“雪印”

私は大学では農学部に在籍し、脂肪を分解する酵素の研究に熱中していました。そのような研究を行っていたことから、油脂・食品メーカーを就職先の上位候補にあげており、大学の求人票に“雪印”の名前を見た時「ここだ」と思いました。
実は私の父が酪農家でして、搾乳したミルクは農協を通じて、“雪印”の新潟工場に納入していたのです。そんなこともあり、飼育している牛が病気になると、“雪印”の工場から獣医さんがバイクで駆けつけてくれる。その大型バイクの大きな音が近づいてくると、牛は立ち上がり少し元気になるのです。「牛も分かっているんだな」と、牛達を元気にしてくれる“雪印”の獣医さんに、父母と共にいつも感謝していました。そんな幼少期の記憶から、私にとって“雪印”というのは一企業の枠を越えた存在でした。就職を決めるのに、悩みも迷いもありませんでしたね。
入社後は、まず横浜にあったチーズ工場でプロセスチーズの製造にあたり、その後、川越の研究所にあった製品開発室に配属されました。思えば、入社以来ずっとチーズ関連の業務だけに専心し、他の製品部署に異動しなかったのは少し珍しいケースだったと思います。とにかく、私の“雪印”時代は“チーズ一色”でした。

宅配ピザブームが、新しいチーズを開発するきっかけに

私が入社した当時は、今なお定番の“雪印”の『スライスチーズ』と『6Pチーズ』が売上シェアのほとんどを占めていました。1980年代後半になると、宅配ピザが一般家庭にも浸透。加熱して溶けたナチュラルチーズのおいしさが、広く認知され始めていました。”雪印”も1981年に家庭向けに、ゴーダやチェダーなどのナチュラルチーズを細断したシュレッドチーズをプラスチック容器に詰めて販売していました。また、それに先駆けて、手軽に“とけるチーズのおいしさを楽しめるチーズ”として1971年に『メルティ225g』や1976年に『ピザタイム』というプロセスチーズを他社に先駆けて開発し販売していました。
中でも『ピザタイム』はフィルムで個包装されたスライスチーズタイプで、若干スパイス風味が加えられ、まさにこれ一枚でピザトーストが完成するという画期的な商品だったのです。しかし、惜しむらくはその“とろけ方”。加熱すると確かにとけるのですが、モッツァレラのように糸を引くとろけ方ではなかったのです。

開発チーム全員の情熱が『とろけるスライス』を生む

「ナチュラルチーズのようなとろけ方をする、スライスチーズを開発する」これが、私の所属していた製品開発室の商品開発テーマに決まったのです。原料となるチーズや乳化剤の選定を見直し、加熱・撹拌の条件を研究して出した答えは、“加熱すると糸を引くスライスチーズの製造は不可能ではないが、「加熱して糸を引くPCの製造条件」と「緻密な組織を持つPCの製造条件」は相反する融化条件となることから、糸引き性を重視するとチーズの組織が脆くなる”というものでした。
フィルムからはがすとボロボロとちぎれてしまうチーズは、生食には向かないと判断され、残念ながら商品化は見送られました。『とろけるスライス』の技術は封印されることとなったのです。
市場では、その後もピザの人気は続き、時代は新しいタイプのとろけるチーズを求め続けていました。そして封印から2年後の1986年に、ついに眠っていた『とろけるスライス』の技術に再びスポットライトが当てられ、開発が再開されることになったのです。
横浜にあったチーズ工場でラインテストが繰り返され、倉庫は試作したチーズでいっぱいに。しかし、スライス職場の職員を初め、開発に携わったすべてのスタッフが従来にない“新しいチーズ”への期待に胸を膨らませ、情熱と愛情が開発に注ぎ込まれたのです。その結果、再開からわずか半年という驚きのスピードで『とろけるスライス』の商品化に成功することができたのです。

パッケージやTVCMに後押しされ、爆発的ヒット商品に

1987年の発売直後から人気に火が付き、爆発的なヒット商品となった『とろけるスライス』。ナチュラルチーズの食感をもったチーズとして「おいしさも好評」でしたが「洗練されたパッケージ」や「宣伝活動の巧みさ」も商品の人気を後押ししてくれたのです。『とろけるスライス』のパッケージといえば、ベースカラーの黒に浮かび上がる“糸引くチーズ”の姿。シズル感のある黄色いチーズを、背景の黒色が効果的に際立たせてくれるものでした。
食品業界では「黒い商品は売れない」という定説があり、おのずと黒のパッケージは敬遠されてきたものでしたが『とろけるスライス』はそれを逆手に。これまでにない斬新なデザインと高く評価されると同時に、スーパーの棚でも非常に目立つ存在となり、他の追随を許さない独走状態が続いたのです。
また、「とろけるスライス、ゆきじるし~♪」というおなじみのフレーズのTVCMも、売り上げに多大な貢献をしてくれました。可愛らしい子どもの声で歌うメロディーは耳なじみが良く、この歌のおかげで、商品が家庭の食卓にスムーズに浸透したのだと思います。
「おいしさ」と「パッケージ」と「TVCM」の相乗効果で、『とろけるスライス』は押しも押されもせぬ大ヒットを記録。作っても作っても需要に追い付かないという、嬉しい悲鳴をあげる時期が続いたのです。

(後編に続く)

※この記事は、インタビューをもとに執筆しています。登場する固有名詞は田中穂積さんのお話に基づいて掲載しております。

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