「2つの事件」の概要と「雪印八雲工場食中毒事件」について
(1) 雪印乳業食中毒事件
2000年(平成12年)6月に雪印乳業(株)大阪工場製造の低脂肪乳などにより発生した食中毒事件。6月27日大阪市保健所に最初の食中毒患者の届け出がありました。
調査の結果、雪印乳業(株)大樹工場で製造された脱脂粉乳が停電事故で汚染され、それを再溶解して製造した脱脂粉乳を大阪工場で原料として使用していたことがわかりました。
その脱脂粉乳に黄色ブドウ球菌が産生する(エンテロトキシン)が含まれていたことが原因でした。雪印乳業(株)は事件直後の対応に手間取り、商品の回収やお客様・消費者への告知に時間を要したため、被害は13,420人に及びました。この事件によって、社会に牛乳、乳製品をはじめとする加工食品の製造に、不信と不安を抱かせるだけでなく、乳等省令についての乳業界の解釈と社会の理解との乖離が明らかになるなど、社会に対して大きな影響を与えました。
(2) 雪印食品牛肉偽装事件
2001年(平成13年)9月、国内でBSE感染牛が発見されたため、国はBSE全頭検査開始前にと畜された国産牛肉を事業者から買い上げる対策を実施しました。
これは、雪印乳業(株)の子会社であった雪印食品(株)がこの制度を悪用し、安価な輸入牛肉と国産牛肉とをすり替えて申請し、交付金を不正に受給したという、明らかな詐欺事件です。
事件は2002年(平成14年)1月23日の朝日、毎日両新聞の報道で表面化しました。
背景には、食肉業界で「原産地ラベル張り替え」が日常化していたことや雪印乳業(株)の食中毒事件の影響により雪印食品の売上が減少し経営が悪化していたことに加えBSE牛発生に伴う消費者の牛肉買い控えにより大量の在庫を抱えてしまっていた、などの状況がありました。
しかし、最大の原因は、当事者の考えや上司の指示がコンプライアンスや企業倫理に反するものであった、ということは否めません。
事件が顕在化してから3ヶ月後の2002年(平成14年)4月末に、雪印食品(株)は解散しました。
(3) 雪印八雲工場食中毒
1955年(昭和30年)3月、東京都内の小学校9校で、学校給食でだされた脱脂粉乳により発生した食中毒事件で、患者数は1,579人に上りました。
この脱脂粉乳を製造したのが当時北海道渡島にあった、雪印乳業(株)八雲工場でした。
原因物質は黄色ブドウ球菌で、脱脂粉乳の製造時に重なって発生した製造機の故障と停電により、原料乳あるいは半濃縮乳が粉化前に長時間放置されたことで菌が増殖したものと推定され、2000年に発生した食中毒事件と全く同様と言える事件でした。
この八雲工場食中毒事件を風化させてしまい、その教訓を活かすことができなかったことが、2000年の食中毒事件の発生につながったとも言えます。
八雲工場の事件後、当時の社長であった故佐藤 貢(みつぎ)が全社員に向け発した言葉「全社員に告ぐ」(原文)を掲載しております。