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今回の事件は日本の風土、社会システムに巣くっている問題の集約だったのではないかと思う。雪印が再生していくことが日本の、北海道の新たな発進になるのではないかと思っている。時間はかかるかもしれないが、方向を間違わなければ(会社だけの再生のためではなく日本の食生活を考えたり、自己保身ではない方向)再生できるのではないか。 |
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生産者と生活者は相反するものではなく実は同じことを考えているお互い生活者であり、生活者同士をつないでいるパイプ(雪印)がブラックボックスになっているのではないか。それを透明なパイプにしてつなぐ役割を果してもらいたい。 |
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かつての雪印の社員からは命の源になる食料、中でも子供を育てるのに欠かせないミルクを供給するんだと教えられ、心のある会社だと信頼して今までやってきた。だから酪農の仕事に非常に誇りを持てた。酪農家は雪印から技術指導を受け、ずっと酪農家のミーティングの場が雪印だった。それが大企業になって遠い存在になってしまった。今でも現場とは上手く付き合えているが、現場以外のところで何かがずれているのではないか。 |
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創業の精神を今の社員がどれだけ知っているか、我々に話してくれたような話を社員にする人がいないのは問題。それを理解することが復活の糸口になると思う。自分たちも海外との競争で単にコストを下げることではなく、本当の食料を作ることが競争であることを若い人たちに伝えていきたい。 |
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合理化が進み雪印が生産者から遠のいていくことで、生産者も雪印に対する責任がどんどん希薄になっていく。作られる牛乳がどことどこの酪農家の牛乳が入っているということがわかるようなものだったら、生産者はもっと努力する。工場と酪農家が顔の見える関係であり、さらにその先に顔の見える消費者がいるというのが理想。 |
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食品が負うリスクを消費者にいかにわかりやすく情報開示できるか。供給者側の使命としては選択肢をできるだけ作って、消費者がリスクなどもわかった上で選択できることが今後必要である。ただ情報公開をしても消費者はわからない。どうしてこういうやり方なのかをわかるように説明して公開することが大事である |
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企業活動においてもいかに情報をわかりやすく出すかが課題である。これからのキーワードは「シンプル」。小学生でも理解できるくらい簡単にして情報を出すこと。 |
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牧場のミルク工房にもお客様が見に来るが、見られることで衛生面も非常に気を遣うようになった。お客様の目が自分達を活性化している。 |
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消費者にもっと現場を知ってもらって牛乳の価値を知ってもらいたい。そうすることによって生産者もやる気になる。われわれ生産者もそのために情報を公開する努力をしなければいけない。 |
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農家を単なる供給者として見るのではなく食を作る一環で農業全体を考え、その中で雪印ができることを考えて欲しい。雪印がそのモデルとなって欲しい。 |
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生産者とどう向き合っていくかということは今後の再生に向けては非常に大事なことである。これまでは酪農担当を除いては、生産者の方とお話する機会を設けてこなかった。部門を超えてこのような対話をさせてもらえれば、それぞれの部門で必ず気づきがあると感じた。 |
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かつて雪印に教えられて酪農を始めた高橋さんが今は雪印に酪農のことを教える。我々にとっては情けないことだと思う。 |
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雪印の先輩たちが熱い情熱を持っていたことを、雪印の社員である自分が社外の方の言葉の中で知り、感動していることの異常さに改めて気が付いた。社内に同じような話をしてくれる(話をできる)人がいないことの重大性と自分自身が雪印に無関心であったことを痛感した。 |
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今回の対話集会では、情報開示に関する話題が多く出てたが、我々は「お客様が判断するための選択肢(情報)をより早くより多く提示すると同時に、それを取捨選択していただくための基準となる事典のような知識を常々開示・普及する」ことが必要なのではないかと思う。 |
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もう一度「乳」だけではなく日本の「食」を考え、提案できる会社になりたいという気持ちを強くした。 |
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対話集会は自分自身を反省し、原点に戻るきっかけとなった。これを契機に、どのようにアクションをとるのか自分自信で考え、今でも雪印を応援してくれる方々の声に耳を傾け、透明度アップを図ることから始めたい。 |
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実際に牛に触れて、手で搾乳をさせてもらい、出てくるミルクが非常に尊いものに感じられた。「1Lパックの牛乳の1滴1滴が牛のお乳から搾られるもの」であることは誰でも知っているが、その有難さを心から感じた瞬間だった。わたしたち社員はもちろんのこと、むしろ消費者にもその尊さ・有難さをお伝えしたいと思った。それを感じながら飲む牛乳は格段に美味しく感じられるのではないか。そのために自分が出来ることを考えたいと思う。 |